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日本での劇場の進化と歴史



現在日本には、実演芸術の上演に利用できる施設(劇場・ホール・会館など)が公立・民間合わせて3,000館近くあり、その2/3が公立の文化施設です。

歌舞伎小屋や芝居小屋といった専用施設は江戸時代に始まりますが、西洋の芸術文化に対応する施設は1890(明治23)年に建設された東京音楽学校奏楽堂(388席)が最初だったと言われています。その後、1911(明治44)年に帝国劇場(1,700席)が本格的洋式ホールとして建設されましたが、この時代にはまだ公共のホールはありませんでした。では、日本の公共の劇場やホールはいつ頃誕生し、どのように進化していったのでしょうか。大きく3つの時代に分けて紹介します。

公会堂の時代(1920~60年代)

公会堂の時代(1920~60年代)

大正時代に入り、西洋文化の発展に伴って「公会堂」と呼ばれる公立の文化施設が造られました。日本初の公会堂は、1918(大正17)年に竣工した大阪市中央公会堂(中之島公会堂・1,846席)で、本格的なプロセニアムアーチ(舞台を額縁のように切り取る構造物)を備えた斬新な建物でした。1929(昭和4)年には、今もコンサート会場として使われている日比谷公会堂(2,336席)が建設され、大型の公立文化施設として話題を集めました。以降、1960年代前半まで全国各地で公会堂の建設ラッシュが続きましたが、公会堂建設の目的はあくまでも講演会や式典などを行なうための集会施設。芸術文化のためのホールと呼べるものではありませんでした。しかし戦後、芸術文化公演の場として適切な施設がなかったこともあり、それまで民間の施設で催されていた芸術公演が公会堂で行なわれるようになりました。そういう意味で公会堂は、今日の市民会館や文化会館の原型と言えるでしょう。

市民会館・文化会館の時代(1960~80年頃)

市民会館・文化会館の時代(1960~80年頃)

戦後、経済的な復興とともに、公会堂を原型とした公共ホールの建設が始まりました。1953(昭和28)年に建設された愛媛県民会館を皮切りに、1961(昭和36)年にはコンサートやオペラの公演を目的とした東京文化会館が竣工するなど、芸術文化の公演を利用目的に含めた本格的な公共ホールの時代がスタートしたのです。それらの大半は、市民会館や文化会館などの名称で呼ばれ、1,500~2,500席レベルの公共ホールの建設ラッシュがしばらくの間続きます。しかし、これらは「公共施設」という名目上、多種多様な演者や観客の欲求に応えなければなりませんでした。つまり、音楽や演劇はもちろん、舞踊や映画、歌舞伎、講演までをも対象にした設計が必要だったのです。そのため、この時代の公共ホールは多目的ホールと呼ばれ、多彩な演目に対応しましたが、専門性には欠けていました。そこで、専用ホールや芸術劇場の建設を求める気運が高まっていきました。

専用ホール、芸術劇場の時代(1980年頃~)

専用ホール、芸術劇場の時代(1980年頃~)

1980年代には、より専門性を求める観客や演出家、演者の要望が高まり、専用のホールが全国各地で誕生しました。代表的な例をあげてみましょう。1978年に兵庫県尼崎市に開館したピッコロシアターは、公共施設ながら演劇専用ホールとして客席数を400席以内に抑えたほか、民間出身者を館長に登用するなどして、日本の演劇専用ホールの先駆けとして名を馳せました。1981年には宮城県中新田町に本格的な音響設備を完備した音楽専用のバッハホール(660席)が開館、1982年には音楽専用ホールと演劇専用ホールで構成された熊本県立劇場が完成し、地方都市を中心に全国で専用ホール・芸術劇場ブームが展開します。80年代後半からのバブル景気で地方自治の財政に余裕があったこともあり、90年代にかけて、ジャンルがより細分化された専用ホールが造られました。ライブハウスやコンサートホール、オペラ劇場、小規模演劇ホールなど国際的に見てもレベルの高い専用施設が造られ、海外アーティストの来日公演が増えていったのもこの時代です。