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日本の伝統的な劇場:能楽堂



ここでは、独特の構造を持つ、能楽堂・能舞台の詳細を見ていきましょう。なぜこの形なのか、なぜここにこれがあるのかなどを知るだけでも、能楽鑑賞が一段と楽しくなることでしょう。

寺社の祭礼で演じられた能の世界

寺社の祭礼で演じられた能の世界

能の歴史は遠く奈良時代にまでさかのぼり、そのルーツは大陸から渡来した「散楽(さんがく)」という民間芸能だとされています。それが日本古来の民間芸能と融合し、平安時代に「猿楽(さるがく)」と呼ばれるようになります。各地で活動していた猿楽の役者たちはそれぞれに集団を作り、寺社の祭礼で演じていました。その後、14世紀後半に観阿弥が登場して能は大きな転換期を迎え、観阿弥・世阿弥親子が多数の名作を残し始めた室町時代以降は将軍家の庇護のもとに飛躍的な発展を遂げていきます。とくに、能の熱狂的な愛好家だった豊臣秀吉が天下を治めていた安土桃山時代には、豪壮な能舞台の様式が確立、装束も豪奢になり、能面の種類も出揃ったとされています。江戸時代に衰退しそうになりましたが、明治時代に入り、能の保存・復興を強く説いた岩倉具視などの政府要人や華族、新興財閥が出資して「能楽社」を設立しました。

その昔、能舞台は寺社の境内など野外にあったので、能舞台の見所(けんしょ・客席)には屋根もなく、あったとしても別棟で舞台と離れているなど観客には不便でした。そのため明治14年に全天候型・客席一体型の劇場「芝能楽堂」が芝公園に造られました。屋内に野外の能舞台がそのまま再現されているのが特徴です。当初は御簾席や桟敷席を備えたものが大半でしたが、現在では椅子席の能楽堂が主流です。

能舞台の構造と特徴

能舞台の構造と特徴

能舞台に緞帳(どんちょう)はなく、また、もともと四方吹き抜けの屋外建物だったことから本舞台には壁もありません。舞台と見所を仕切る幕らしきものは橋掛りの奥の揚幕のみです。また、マイクやスピーカーなどの音響装置、大掛かりな舞台装置や背景の絵、照明の変化による演出などもありません。そこにあるのは、シテやワキと呼ばれる演者の動きと、囃子方や地謡担当が囃す音とことばのみ。舞台と観客が一体となる空間で、見たまま聴いたままに感覚で目の前の出来事を堪能することが能の醍醐味と言えるでしょう。

では、能舞台の構造を詳しく見ていきましょう。

本舞台
4本の柱に囲まれた約6m四方の空間で、演技の大半が行なわれる場所。見所に突き出ている。
地謡座(じうたいざ)
本舞台に向かって右側に張り出し、欄干がめぐらされている部分。地謡を担当するシテ方6~10人が列座する。
後座(あとざ)
本舞台の奥にあり、前側には囃子方が(向かって右から)笛、小鼓、大鼓、太鼓の順に座る。左奥は後見(こうけん)が座る後見座。
鏡板(かがみいた)
本舞台の正面奥にある羽目板で、大きな老松が描かれている。この背景は演目によって変わることはない。
舞台の四隅にある柱それぞれには名前があります。
  • 角柱…本舞台に向かって左側手前の柱で、4本の中でも最も重要な存在。能面をつけることで視野が極端に狭くなるシテの目印になるため、「目付柱」と呼ばれる。
  • ワキ柱…右側手前の柱。ワキ方がこの柱の側に座ることが多い。
  • シテ柱…左奥の柱で、シテが近くに立つことが多い。
  • 笛柱…右側奥の柱で、笛方が座る場所の近くにある。
橋掛り(はしがかり)
後座から向かって左奥に伸びる、欄干のある長い廊下部分。演者が出入りする通路であるだけでなく、ここで演技が行なわれることも多い。
揚幕(あげまく)
橋掛りの奥にかかる幕で、演者の出入り口となる。揚幕の奥には、シテが面をつけたり外したり、身支度を整えたりする神聖な「鏡の間」がある。揚幕側は、シテ、ワキ、ツレ、ワキツレ、狂言、囃子方が出入りに使い、後座の右手にある「切戸口(きりどぐち)」は各後見や地謡担当が出入りに使う。
一ノ松、二ノ松、三ノ松
橋掛りの、前の白州(幅一間ほどに敷かれた玉石)に植えられた3本の若松。舞台に近いほうから一ノ松、二ノ松、三ノ松と呼び、一ノ松から順に小さくなっていて遠近感を演出している。