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アングラ演劇と小劇場



日本の近代演劇史の中で、大きな転換点はいくつかありましたが、後世に伝説となって残り、現代の演劇界にも影響を及ぼしているキーポイントが、60年代から80年代と言えるでしょう。振り返ると、演劇が社会的ブームを呼ぶほど、ワクワクする一時代を築いていました。

アングラ演劇

アングラ演劇

1960年代にアングラ演劇と呼ばれるジャンルの演劇が生まれ、大きなブームを呼びました。「アングラ」とはアンダーグラウンドの略語で、60年代に起こった美術や音楽なども含む反権威主義的な文化・芸術運動のことです。自分たちの思想を演劇という形で表現していた新劇や商業演劇などに対しての、反体制主義や反商業主義的な考えから生まれました。実験的で前衛的な反体制的小劇場演劇で、同時代に活発だった学生運動や市民運動の思想などとも呼応するものがありました。劇場という枠から飛び出し、街でゲリラ的演劇を行なったり、自分たちで公園や野外にテントを組んだり、演劇空間のもつ力を重視したパワフルで刺激的な作品が数多く誕生しました。

寺山修司の天井桟敷、唐十郎の状況劇場(あか紅テント)、佐藤信の68/71黒色テント、鈴木忠志の早稲田小劇場などが代表的な劇団です。

状況劇場は初期には麿赤児、不破万作、四谷シモンら、後に根津甚八、小林薫、佐野四郎らが所属していました。今や、演劇界・テレビ界に欠かせない演技派個性派たちです。ポスターは横尾忠則が担当していました。

60年代という独特な時代の空気が創り上げたアングラ演劇は、80年代まで影響を及ぼしました。彼らは小劇場演劇の「第一世代」と呼ばれています。

アングラの終焉を意識させたのは、東京キッドブラザースの誕生かもしれません。1968年、天井桟敷の旗揚げにも参加した東由多加が、若いメンバーを率い、"愛と連帯"を旗印に掲げて、青春の情景を日本語のオリジナルミュージカルに作りあげて上演。アイドルに対する黄色い声援に似た、熱狂的なファンを多く集めました。

1976年に、アングラ界から石橋蓮児と緑魔子が結成した劇団第七病棟が誕生、その魂と話題性により、アングラ時代の最後に登場した劇団と言えるかもしれません。

小劇場の時代

小劇場の時代

後に小劇場演劇の「第一世代」と呼ばれたアングラ演劇も、学生運動の終息と共にその数を減らし、新たなムーブメントが起こります。その筆頭には、つかこうへいの存在がありました。1974年に、つかこうへい事務所を結成し、その独特の作風と舞台表現が、あっという間に全国へ伝播します。70年代には山崎哲、竹内銃一郎、北村想らも活躍し、小劇場演劇の「第二世代」と呼ばれました。

1974年には女性だけの劇団・青い鳥、1976年には東大の演劇研究会を母体にした野田秀樹率いる夢の遊眠社が、そして1978年に渡辺えり(子)が劇団3○○(3重丸)を旗揚げ。1981年には、早稲田大学演劇研究会から鴻上尚史率いる劇団第三舞台が、すい星のごとく登場しました。80年代に活躍した彼らを小劇場演劇の「第三世代」と呼んでいます。

若い演劇人たちの演劇活動の場や劇団を指して、"小劇場"と呼ぶようになったのは80年代後半でした。日本がバブルに突入して行った時代は、一般企業の劇場建設という恩恵をもたらし、社会的ブームとなるほど若者たちの感性は演劇に向かいました。

バブル後の90年代には、ブランドショップからセレクトショップへの志向と似て、劇団という枠にとらわれないプロデュース公演が増え、その後も大きなうねりが起こるには至りませんでした。今、小劇場人たちは、90年代の「第四世代」から「第五世代」へと移行し始めています。

関西の小劇場ブーム

関西の小劇場ブーム

今や伝説となっているのが、80年代の関西に巻き起こった、小劇場ブーム。若者向けのファッションビルとしてオープンした梅田阪急ファイブ8階にあったオレンジルーム(現、HEPホール)が拠点。漫才ブーム寸前の1979年にオープンし、若手漫才師たちや学生演劇の劇団が利用していました。ボウリング場を改装して作られた会場は、劇場というより多目的ホール。それでも、みんな、お客さんも劇団員たちも熱かったのです。

大阪芸術大学の舞台芸術学科出身で、今や新世代の商業演劇とも言えるジャンルを打ち立てた、いのうえひでのりの「劇団☆新感線」。同じ大学の同じ学科にいた内藤裕敬率が作・演出の「南河内万歳一座」。京都大学の学内サークル出身の「そとばこまち」は、当時、四代目座長で槍魔栗三助という名だった生瀬勝久が率い、辰巳卓郎も所属していました。そしてキムラ緑子らが所属し、2010年に解散したマキノノゾミの「劇団M.O.P.」も活躍していました。

1985年には扇町ミュージアムスエア(OMS)と近鉄劇場・近鉄小劇場がオープン。劇団☆新感線と南河内万歳一座はOMS内に劇団事務所を置き、活動を始めます。複数の劇場ができたことで、東京で活躍する人気の小劇場などが来阪、各劇場のキャパシティとカラーに併せた劇団や作品を観ることができるようになります。そして、小劇場のメッカはオレンジルームからOMSへと移行していきます。

OMSでは、わかぎゑふが作家の故・中島らもと作った「リリパットアーミー」(現在はリリパットアーミーⅡ)が人気を博し、京都の劇団で土田英夫が主宰するMONO、岸田戯曲賞作家となる「マレビトの会」の松田正隆や「桃園会」の深津篤史、鈴江俊郎らも上演を重ね、新たな小劇場が成長し、充実していきました。

その後、2002年に近鉄アート館(近鉄百貨店阿倍野店9階)が舞台としての利用を中止、2003年3月にOMS、2004年2月に近鉄劇場と劇場の閉館が相次ぎ、次のムーブメントまで、しばらく時を待たねばならないようです。