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大衆演劇の世界



全国を巡業して公演を行なっていた大衆劇場。その歴史や現状、劇団から生まれたスターなど、大衆演劇に関する豆知識をご紹介します。

大衆演劇の歴史

大衆演劇の歴史

大衆演劇は、主として地方を興行して回る劇団によって演じられる、娯楽性豊かな演劇です。もとは明治時代に歌舞伎が国劇となり、大歌舞伎に対し、中歌舞伎と呼ばれていたものです。大歌舞伎では恵まれなかった一派と地方歌舞伎のセミプロたちが、集合離散を繰り返して全国各地を巡業していました。明治中期になると、新派、浪曲などの旅一座も加わり、合同公演を行なううちに"節劇"が生まれます。歌舞伎の浄瑠璃に代わり、浪曲を口演する浪曲劇のことで、これをルーツと呼ぶことも多いそうです。"節"に乗って芝居をすると、情感たっぷりの、大衆演劇独特のいわゆる"くさい"芝居が、ここで確立されたと言われています。

そして剣劇でブームを呼んだ新国劇の人気に旅芝居が便乗し、派手な立ち回りがファンに大受け。現在上演されているほとんどの作品が、時代物の人情劇をベースにした剣劇です。大衆演劇のブームは、第一期が1935年(昭和10年)~1941年(昭和16年)、第二期が終戦から1953年(昭和28年)。娯楽がなかった戦後すぐは、バラック小屋にも人が詰め掛け、大盛況。当時は北海道から九州まで、700余の劇団があったと言われ、50名が所属する大一座も多かったようです。

昭和30年代後半以降は、テレビの普及により人気が低迷し、芝居に加え舞踊と歌謡のショーを上演して巻き返しを図りますが、常打ち小屋の廃業や一座の解散が相次ぎ、「下町の玉三郎」こと梅沢劇団・梅沢富美男の登場までの約20年間、大衆演劇は冬の時代に突入します。その間に、東京・大阪・福岡の各劇団が相互扶助のために「東京大衆演劇劇場協会」「関西大衆演劇親交会」「九州演劇協会」という3つの団体を組織しました。

大衆演劇とテレビ

大衆演劇とテレビ

1982年(昭和57年)、市川森一脚本、西田敏行主演のTBSドラマ「淋しいのはお前だけじゃない」が放送されました。大衆演劇を舞台にしたドラマで、人気の女形・梅沢富美男が出演し、高視聴率をあげて、冷えていた大衆演劇界に再びスポットライトが当たりました。そして1985年(昭和60年)のNHK朝の連続テレビ小説「いちばん太鼓」も大衆演劇が舞台に。

大衆演劇のスターたち

大衆演劇のスターたち

「下町の玉三郎」梅沢富美男を筆頭に、劇団竜劇隊の座長・沢竜二、「生きる博多人形」と呼ばれNHK大河ドラマ「風林火山」にも出演した松井誠、「平成の良太郎」大川良太郎、「流し目王子」早乙女太一、「大衆演劇界のニューヒーロー 天才女形」の橘菊太郎劇団三代目座長・橘大五郎らが全国区で人気を博しています。

また、現在は「若ちゃん」こと都若丸劇団三代目座長・都若丸や劇団荒城の座長・荒城真吾、関西では大日方満、美里英二、浪花三之介、二代目市川おもちゃら、数多くの中堅・若手が揃っています。

大衆演劇の今

大衆演劇の今

劇団の総数は全国で約150。歴史ある劇団から、新進まで様々な劇団があり、20代~30代の座長が看板を努める劇団が多く、劇団の人数は数名~30名ほどの構成です。公演は各地にある専用劇場(常設小屋)と健康ランド、ホテルなど。大阪では常設劇場が相次いでオープンし、府全域でみると14館余。全国の3分の1の大衆演劇の劇場が集まっています。

常設劇場は、東京では浅草の木馬館大衆劇場や北区十条の篠原演芸場、大阪では恵美須の浪速クラブや新世界の朝日劇場、西成区山王のオーエス劇場、神戸では新開地劇場、岐阜の豊富座、福岡・飯塚市の嘉穂劇場など、全国各地で公演が行なわれています。

大衆演劇の内容は、ほとんどが芝居と舞踊や歌謡ショーの組み合わせというプログラムです。芝居は1時間から1時間半で、人情劇・喜劇・任侠ものの剣劇など時代劇が中心です。次に演歌や流行歌に合わせた、役者たちによる踊りと歌のショーが30分から1時間という構成。また、座長襲名や記念公演など、各劇団の座長が集う座長大会などの特別公演もあります。

通常演劇を上演する劇場やホールと違い、大衆演劇では役者と観客との距離が大変近く、芝居の内容も分かりやすいため、役者と観客が一体となった濃密な空気感があるのが特徴です。