ご希望の劇場・ホール・会館情報を無料で検索できます。

施設検索/ホームメイト・リサーチTOP

ホームメイト劇場・ホール・会館リサーチ

劇場・ホール・会館情報

知っておきたい
シェイクスピアの世界



世界中のどんな演劇作品も、すべてシェイクスピア作品に帰結すると言われるほどの天才劇作家がシェイクスピアです。シェイクスピアが日本の演劇界に与えた影響は計りしれず、いまもなお、さまざまな演出スタイルによって世界中で上演されています。映画でも多く上映され、広く知られた作品も数多くあるので、よく耳にする作品名があるでしょう。シェイクスピアを少しでも知っていると、演劇の世界がぐんと身近になります。

ウィリアム・シェイクスピアとその作品

ウィリアム・シェイクスピアとその作品

1564年、イギリスのストラットフォード・オン・エイヴォンで誕生。1582年、18歳で8歳年上のアンと結婚し、やがてロンドンへ出て劇場に勤め、最初は役者として、のちに座付き作者となります。1592年には劇作家として認められ、その後20年間に37作品の作品を書き、詩人としても名声を得ました。晩年は国王一座となったグローブ座などの経営株主となりましたが、1611年に故郷へ引退し、1616年、52歳で死去しました。

シェイクスピアの残した作品は喜劇・悲劇・歴史劇・ロマンス劇などのジャンルで、20年の活動を大まかに4期に分けて考えられています。第一期(1590年~1595年頃)は、「リチャード三世」「間違いの喜劇」「じゃじゃ馬ならし」「タイタス・アンドロニカス」「恋の骨折り損」など。第二期(1596年~1600年頃)には「ヴェニスの商人」「ロミオとジュリエット」「真夏の夜の夢」「ウインザーの陽気な女房たち」「お気に召すまま」など。"道化"的人物が創造され、円熟した喜劇が多く生まれました。第三期(1601年~1609年頃)は「十二夜」「ハムレット」「オセロー」「マクベス」「リア王」など悲劇の傑作を次々と発表。第四期(1610年~1613年頃)には、「ペリクリーズ」(1608)、「冬物語」「テンペスト」など、悲喜劇からハッピーエンドとなるロマンス劇などが書かれています。

日本のシェイクスピア

日本のシェイクスピア

日本で最初に上演されたシェイクスピア作品は「ヴェニスの商人」です。1885年(明治18年)、大阪・戎座(えびずざ)で"上方の団十郎"と呼ばれた中村宋十郎による舞台でした。脚本は勝諺蔵(かつ げんぞう)が小説から脚色し、「何桜彼桜銭世中(さくらどきぜにのよのなか)」と題し、舞台や登場人物など日本に置き換えた、翻案ものでした。

翌年(明治19年)には仮名垣魯文(かながきろぶん)が、浄瑠璃仕立ての「葉武列土倭錦絵(はむれっと やまとにしきえ)」を新聞に連載。「ハムレット」の日本初の翻案を完成させました。ところが上演は、約100年後の1991年(東京グローブ座新神戸オリエンタル劇場)。西洋歌舞伎「葉武列土倭錦絵」と題し、七代目市川染五郎が二役を演じて話題を呼び、その後、ロンドンでも上演されました。

明治・大正時代には外国文化に慣れておらず、日本風に置き換えた翻案物が歌舞伎や新派などでよく上演されました。シェイクスピア作品が、初めて翻訳上演されたのは1901年(明治34年)の「ジュリアス・シーザー」です。

今では、シェイクスピア作品をそのまま翻訳劇として上演することが普通となり、逆に翻案ものが海外では新鮮な演出作品のひとつとして捉えられるようになってきています。

シェイクスピア全作品の完全劇破

シェイクスピア全作品の完全劇破

小劇場の台頭期だった1975年、出口典雄はシェイクスピア全作品の上演達成を掲げ、シェイクスピア・シアターを結成しました。東京・渋谷の山手教会地下にあった前衛的な小劇場"ジァン・ジァン"を拠点にした、通称"Gパン シェイクスピア"。衣裳は全員が普段着のGパンに白シャツなど、装置は簡素、照明は地明かりのまま。早口のセリフにスピーディな展開とリズミカルな演技で、まさに疾走するシェイクスピアを繰り広げました。200人ほどが入れる狭い空間は、若者たちでいっぱいになりました。「十二夜」を皮切りに1981年の「アントニーとクレオパトラ」で、シェイクスピア37本の上演を達成。出口典雄は、世界で初となる1人の演出家によるシェイクスピア全作品の演出・上演達成という快挙を成し遂げました。吉田鋼太郎らを輩出し、日本初のシェイクスピア専門劇団として、現在も活動を続けています。

1988年、シェイクスピアが座付き作家を務めた「グローブ座」をモデルに、円形劇場の東京グローブ座が誕生しました。オープニングには、本場イギリスからイングリッシュ・シェイクスピア・カンパニー(RSC)を招き7作品を上演。以来、海外の劇団やカンパニーをはじめ、海外の演出家と日本人俳優で"グローブ座カンパニー"を結成し、主催・提携公演を合わせ「終わりよければすべてよし」を除く36本が上演されました。

1999年、さいたま芸術劇場がオープン。こけら落としは、RSCのオールキャストに日本人でただ一人、真田広之が出演し、同劇場の芸術監督・蜷川幸雄の演出を務めた「リア王」です。これは、シェイクスピア作品の翻訳ものが日本で初めて上演されてから約100年を経て、演劇史に残る画期的な上演でした。日英の共同製作、蜷川幸雄はRSCでシェイクスピア作品を演出した初の外国人演出家となり、英語で上演。さらに日本公演のあと、イギリスで4ヵ月間の長期公演を実現したのです。そしてここから、・蜷川幸雄の演出・監修でシェイクスピア全37作品の完全劇破を目指す"彩の国シェイクスピア・シリーズ"がスタートしました。

それまでも、宇宙を表したと言われる竜安寺の石庭にヒントを得た「真夏の夜の夢」、仏壇の中で演じた「マクベス」など、その斬新な演出で世界のNINAGAWAとして活躍してきた蜷川幸雄。シェイクスピア時代に演じられたものと同じように男性だけで演じる"オールメール"シリーズなど、作品によってアプローチを変えながら上演し続けています。