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知っておきたい日本の名舞台女優



歌舞伎全盛を経て、明治時代から近代演劇が発生し、大正時代の「築地小劇場」に始まって現代に続く演劇の基礎が出来あがりました。そこに大きく貢献してきた名女優たち。彼女たちは舞台を中心に女優を続け、確かな足跡を残してきました。数多くの作品を演じながら、この作品と言えばこの人、と言われるほど長く演じた役を持っていたのが特徴的です。日本の演劇史を語るのに、忘れてはいけない3大舞台女優を年代順に取り上げます。

山本安英(1902~1993)

山本安英(1902~1993)

やまもとやすえ。東京出身。1921年に初舞台を踏み、代表作は「夕鶴」の"つう"役。日本語の美しい発音にこだわり、新劇の基礎を築き上げた名女優です。

1924年に創立された「築地小劇場」の第一期メンバー。その後、1947年に劇作家・木下順二らと「ぶどうの会」を結成。木下順二は山本安英のために、誰もが知る日本の民話の「鶴の恩返し」を題材にした戯曲「夕鶴」を書き下ろします。戦後の荒廃した世の中に人間性の回復を訴え、1949年に初演。主役の"つう"を演じた山本安英は、「鶴の化身のようだ」と評され、谷崎潤一郎も絶賛したと言われるほど見事でした。全国各地で上演され、代表作となります。

1964年に「ぶどうの会」解散後は、ひとりで「山本安英の会」を主宰して"つう"を演じ続け、1984年に1000回公演を達成しました。その後も千回記念公演を続け、上演回数は1037回。47歳だった1949年から84歳となる1986年までの37年間上演した山本安英この記録は、1990年に森光子の「放浪記」に抜かれるまでロングラン上演回数のトップにありました。

1978年に、木下順二は群読劇「子午線の祀り」を発表し、翌年に第一次公演を上演。能・狂言・歌舞伎のジャンルを越えた出演者が源氏と平家両軍を物語る作品で、山本安英は現実と超現実をつなぐ"影身の内侍(かげみのないし)"を演じました。157回出演し、89歳の1992年、銀座セゾン劇場での第五次公演が最後の舞台に。翌1993年10月、90歳で亡くなりました。

杉村春子(1906~1997)

杉村春子(1906~1997)

すぎむらはるこ。広島県出身。70年間、日本演劇界のトップに君臨し、大きな足跡を残した大女優。「女の一生」の"布引けい"などが代表作です。「東京物語」(小津安二郎監督)など映画でも活躍、多くの演劇人の目標にされました。

1927年に「築地小劇場」の研究生となり、1929年に初舞台。1937年に文学座の創立に参加、1940年ごろから看板女優となります。1945年の東京大空襲の戦時下、渋谷東横映画劇場で森本薫作『女の一生』が初演し、主演の"布引けい"役が当たり役となりました。1990年までに上演回数は900回を超え、最終的に947回上演、演劇史に大きな足跡を残しました。セリフにある「だれが選んでくれた道でもない、自分で選んだ道ですもの」が杉村春子の代名詞のようになりました。

「欲望と言う名の電車」の"ブランチ"役は34年間に593回、「花岡青洲の妻」は634回など。たび重なる文学座の分裂・脱退騒動を乗り越え、若手を育てながら舞台に立ち続けました。90歳の1996年、309回目の「華々しき一族」神奈川公演での"諏訪役"が最後の舞台に。翌1997年4月、91歳で亡くなりました。

1998年、読売演劇大賞に、新人を対象に贈られる"杉村春子賞"が創設されました。

森光子(1920~2012)

森光子(1920~2012)

もりみつこ。京都府出身。ラジオ、テレビ、舞台と活躍し、15歳から90歳まで75年に渡る芸能生活の中で、"日本のお母さん"と呼ばれて慕われた女優であり歌手。代表作は舞台「放浪記」の"林芙美子"です。

1935年に映画でデビューし、1941年に歌手となり戦時中は慰問団に参加、戦後はジャズ歌手としても活動していました。その後、結核の闘病を経て、ラジオやテレビのドラマやバラエティー、コメディ番組などに出演。

1958年、梅田コマ劇場で漫才師のダイマル・ラケットと共演していた舞台「あまから人生」を、東宝の菊田一夫が偶然見ていました。誘いを受け、森光子は東宝と契約して上京し、11月末に「花のれん」にお茶子頭の役で芸術座初出演。その演技が評判を呼び、菊田一夫作の舞台「がめつい奴」「がしんたれ」に相次いで出演します。

そして1961年、「放浪記」の"林芙美子"役に大抜擢され、初演。森光子41歳、初めての主役でした。これが大評判を呼んで、地方公演を含み7ヵ月のロングランを達成し、10年後に再演。1973年に菊田一夫の死去後は三木のり平が、5時間の台本をテンポよく潤色し、初演から3回行なわれてきた有名な"でんぐり返り"も1回に短縮、新たな演出で上演を重ねていきます。

1970年~1973年にはTBSドラマ「時間ですよ」がヒットし、1974年からはフジテレビワイドショー「3時のあなた」の司会を14年間続けることになりました。

1990年9月に1000回、1999年12月に1500回と記録の節目を担ってきた芸術座は、老朽化のため2005年3月の「放浪記」をもって建て替え工事に。そして2008年、跡地にできたシアタークリエから"でんぐり返り"を万歳三唱に変え、続行。ついに2009年5月9日、森光子89回目の誕生日に帝国劇場で2000回を達成しました。結果的に「放浪記」は2017回上演。7月には国民栄誉賞を受賞、俳優として初の生前授与となりました。

80歳代となった森光子の舞台は、観客がその姿を見て「私なんか、まだまだやれる。頑張ろう!」と勇気をもらって劇場を後にする人たちが多くいました。

その後、2009年11月に明治座の「晩秋」に出演、89歳の2010年1月に錦織一清や滝沢秀明らと共演した、ジャニー喜多川の作・演出・構成による「新春 人生革命」が最後の舞台となりました。2012年11月、92歳で亡くなりました。

2013年4月、石川県加賀市山中温泉に『森光子一座記念館』が2年間の開業としてオープン。石井ふく子が名誉監修となりました。