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落語の基礎知識



噺の違いや真打制度など、落語に関する基礎知識をまとめました。これを知っておけば、落語をより楽しめるはずです。

落語の基礎のき

落語の基礎のき

江戸時代は「落語」と書いて「おとしばなし」と読んでいました。“落ち”の付いた噺をしゃべるために「落語」と言い、今日意味の「落語」と言う言葉の初出は、1813年(文化10)の「笑嘉登(わらうかど)」。“らくご”という読みが一般化するのは明治中期になってからです。現在の落語形態の基礎は、江戸・上方ともに幕末に形成されました。

落語家の登場は徳川綱吉の江戸時代。ほぼ同時期に京都・大阪・江戸の三都に、滑稽な話を聴かせる専業者が出て来ます。京都の露の五郎兵衛(つゆのごろべえ)、大坂・米沢彦八、江戸・鹿野武左衛門(しかのぶざえもん)で、それぞれ、京落語の祖、大坂落語の祖、江戸落語の祖、と呼ばれています。

大道の辻咄が出自の上方落語と座敷咄が出自の江戸落語は、その成り立ちから、噺、寄席など、それぞれに独自の特長を持っています。寄席、と言えば江戸では落語の定席がある興行館ですが、上方では戦後に消滅し、漫才の隆盛もあって2006年に天満天神繁昌亭ができるまでは演芸場での興行でした。東京の演芸では落語が一番とされ、落語以外の演芸を色物と呼び、一段低く見る風潮が長く続いていました。

数多くの名人上手が生まれ、またテレビや他の娯楽の出現と共に、落語は低迷とブームを繰り返して来ましたが、古典という教科書のある強みは、日本の話芸の伝統を受け継ぎ、今でも多くの人たちに愛され続けています。

江戸落語と上方落語の噺の違い

江戸落語と上方落語の噺の違い

座敷咄として部屋の中で演じられて来た江戸落語は、講釈を下敷きにしたものが多く、素噺で演じることが一番。滑稽噺より、ストーリー重視の人情噺が喜ばれ、武士の登場する噺が多くあります。

戸外でよしず張りでの公演が多かった上方では、お笑いが目的の滑稽噺を喜び、物語の主人公が清八(せいやん)、喜六(きーこー)という呼び名になる場合が多く(江戸では八っつァん、熊さんに近い)、ハメモノ(鳴り物)をふんだんに使います。

滑稽噺の少なかった東京では、大正時代に上方落語の人気が高く、数多くの上方落語が移入されたようです。内容はほぼ同じでもタイトルの違うものを上げてみます。

「時うどん」(上方)・「時そば」(江戸)

昔は「時」ではなく「刻」の文字を使いました。食べ物は上方は「餅」や「うどん」、江戸は「そば」が多いのも土地柄でしょう。

「蛇含草」(上方)・「そばの羽織」(江戸)

上方は「餅が甚兵衛を着ていた」、江戸は「そばが羽織を着ていた」。サゲが違います。

「高津の富」(上方)・「宿屋の富」(江戸)

富札の千両の当たり番号は同じ「子の一三六五番」ですが、富くじの場所が違います。上方が高津神社、江戸は椙ノ森神社です。

「桜の宮」(上方)・「花見の仇討」

仇討の場所が違います。上方は文字通り桜の宮で、江戸は上野の山と言われています。

真打制度

真打制度

江戸落語にあって上方落語にはないのが「真打制度」です。落語家の階級であり序列を決めるもので、前座→二つ目→真打と昇進して行きます。

落語家は入門すると、師匠の家に通ったり住み込んだりして、着物のたたみ方や師匠のお供で楽屋へのカバン持ちをするなどなど、落語家の作法やマナーを身に付ける、見習い期間を過ごします(これは東西で変わりません)。落語家の社会になじませながら、弟子として育てるに値するかどうかを見極められます。その後、前座として認められますが、まだ“卵”です。前座の在籍年数は約3、4年。この年数は後輩の入門数によります。

前座

前座

早朝に起きる、もしくは早朝に師匠の家に行き、掃除、洗濯、炊事をこなした後、昼席の寄席へ出勤。夜席まで非番の時は、師匠宅で電話番や使い走りなどの雑用をし、その間に師匠から噺の稽古をしてもらえるとラッキー。してもらえなくても、師匠の話を聞いたり、しかられたり、も修行のうちです。

前座の仕事で一番大きい役割が寄席の楽屋の仕事。出入りする各師匠たちの履物の整理、管理、着替えの手伝い、御茶出し、電話番、未着の出演者の確認、楽屋帳(ネタ帳)つけ、高座進行の補助、太鼓・鳴り物方など、数名で務めます。高座では、演者ごとの座布団返し、出演者の名びら(メクリ)の返し…。

寄席の客の入りに関わらず、前座は、交通費プラスアルファの薄給でも定給をもらえます。食事は師匠宅で食べさせてもらうことが多く、楽屋の師匠方に雑用を頼まれれば小遣いをもらえたり、正月の初席や披露興行などではお年玉や祝儀ももらえます。

そして、開演直後の高座で、ヘタでも何でもとにかく落語を一席。これを前座噺と言い、口ならしとして登場人物が少なく、単純明快な短編がほとんどです。「子ほめ」「寿限無」「たらちね」など、観客ひとりひとりに聴こえるよう、そして最小限の登場人物を仕分けられるように。※上方では「東の旅」など。

二つ目

二つ目

自前の紋付きの着物で高座に上がり、羽織の着用が許されます。出囃子で自分の曲を弾いてもらえ、自分の手拭いを作ることが出来、メクリに名前が載ります。

「二つ目」になって長い噺ができます。師匠宅で師匠の前で演じ、許可が出て初めて高座にかけることができるようになります。

ところが、二つ目の在留期間は、短くて数年、普通は約13年、時には15年以上になります。業界の中で人数は少なくない上に、出番枠に限りがあり、前座より高座に上がるチャンスは減ってしまいます。

そして定給ではなく、報酬が客の入りの良し悪しを受ける“ワリ”、いわゆる歩合給になります。寄席の総売り上げを席亭と出演者がわけ、出演者側の額が全員に割り振られるので“ワリ”。当然「二つ目」のレートは低く、自立自活の日々が始まります。この時期にどれだけ伸びることができるか、です。

真打

真打

二ツ目10年強で「真打」に昇進します。戦後、二ツ目の在籍最短記録は古今亭志ん朝の5年。普通は入門から約15年で、大学卒業後の入門だと、40歳地は区の昇進も珍しくないのです。「真打」になって初めて「師匠」と呼ばれ、定席のトリをとる資格、弟子を取る資格が得られます。一度「真打」になると返上はないのですが、そこから鳴かず飛ばずという真打も少なくありません。