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吉本新喜劇の歩み



ここでは、吉本新喜劇の歴史についてご紹介します。

吉本新喜劇の誕生

吉本新喜劇の誕生

1959年(昭和34)、うめだ花月の開場と共に、吉本新喜劇の前身「吉本ヴァラエティ」がスタートしました。花菱アチャコに白木みのるが加わり、東宝から芦屋雁之助、大村昆らコメディアンが出演した第1回目の演目は、花登筐(はなとこばこ)作「アチャコの迷月赤城山」。初日は600席の劇場に観客はたった17名でした。

東宝との契約は1年で終了するため、吉本生え抜きの喜劇人育成に、1959年(昭和34)に研究生を募集。岡八郎ら3名が新人として契約し、アチャコ、白木に新人3名、外部から花紀京、平参平、秋山たか志、財津一郎らが参加しました。

第9回目の「吉本ヴァラエティ」以降、すべて吉本文芸部の竹本浩三が作・演出を手掛け、壇上茂らと"乗る・こける・どつく・スピード"のオリジナル喜劇を確立し、長く制作を続けることになります

「吉本ヴァラエティ」は第1回目から開局間もない毎日放送がテレビ中継し、人気上昇。京都花月開場の1962年(昭和37)、「吉本新喜劇」に名称を変更します。その翌年開場したなんば花月からは朝日放送が中継を始め、うめだ花月、京都花月の直営館3館を巡演するようになります。劇団員を3組に振り分け、3館を月に10日ずつ上席・中席・下席で上演する形態が長く定着しました。

新たな吉本新喜劇へ

新たな吉本新喜劇へ

1980年の漫才ブームを境に、新たな笑いを求める若い観客が押し寄せるなか、旧態依然とした新喜劇の人気に陰りが見え始めます。87年に京都花月、88年になんば花月の閉館により、新喜劇は、うめだ花月だけの上演に。そこで1989年、「吉本新喜劇やめよッカナ?」キャンペーンが実施されました。大きく若返りを図ったものの中高年層を中心に大ブーイング。全国的な認知を高めながら、チャーリー浜、桑原和男、島木譲二、池乃めだか、中山美保らを再投入して90年には人気を回復させます。1991年には初の東京公演「帝都公演」を行い大成功、劇団員を絞って地方エリアへの巡演も始まります。

その後、東京での公演をにらみ、1995年から吉本新喜劇ニューリーダー制が始まりました。1997年には東京発で「超!よしもと新喜劇」が、ゴールデンタイムにTBS系全国ネットで放送。1999年、ニューリーダー制から座長制度となり、石田靖、内場勝則、辻本茂雄、吉田ヒロが座長に就任します。

1999年より東京のスタジオアルタで吉本新喜劇の定期上演を開催、2001年からはルミネtheよしもとでの上演も開始されます。また海外公演は、1995年に「ハワイ花月」をホノルルで公演、その後もニューヨークやロンドン、台湾、上海などで上演。2006年にはハリウッドで「すっごい吉本新喜劇LA&JAPANツアー」が行なわれました。

2006年に小藪千豊が、2007年には川畑泰史が座長に就任。それぞれ座長のカラーを発揮した舞台を、関西と東京、そして全国主要都市で展開しています。ただ、どんなに時代や制度が変わっても、ギャグで全員がコケるのは、吉本新喜劇ならではの伝統です。