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吉本興業のライブイベント



ここでは、吉本興業が主催するライブイベントについてご紹介します。

吉本興業のライブイベント誕生

吉本興業のライブイベント誕生

吉本興業は、専用劇場の本公演以外にも数多くのイベントを行なってきました。最初のイベントは、1927年(昭和2)に松竹と提携して開催した万才大会です。会場は松竹が経営する、道頓堀の弁天座(後の朝日座)。1934年(昭和9)には早くも東京に進出し、新橋演舞場で「特選爆笑漫才大会」を開催します。同年、吉本興業に秋田實が入社し、文芸部のメンバーが充実、新作の漫才台本を次々と生み出します。1936年(昭和11)の「第1回新作発表漫才研究会」以降、毎月開催されました。

翌年に日中戦争が勃発。1938年(昭和13)、大阪朝日新聞に協力して花菱アチャコ、柳谷金語楼、ミスワカナら超一流の芸人たちを「皇軍慰問団」として中国の戦地へ1カ月間派遣。この通称「わらわし隊」は、帰国後「わらわし隊凱旋報告演芸大会」を開催、全国各地で人気を呼びました。

漫才師たちの自主活動と漫才ブーム

漫才師たちの自主活動と漫才ブーム

第二次世界大戦後、戦災で寄席や演芸場を失った漫才師たちは自主的に活動。1948年(昭和23)、秋田實を相談役に、秋田Aスケ・Bスケ、夢路いとし・喜味こいしらで「MZ研進会」(MZとは漫才の略)を結成、公共施設などを借りて自主興行を行いました。後にミヤコ蝶々・南都雄二らも参加します。1975年(昭和50)からは、秋田實を相談役に(後に藤本義一が村長に)讀賣テレビが主導する「笑の会」が発足。ザ・ぼんち(まさと・おさむ)、オール阪神・巨人、宮川大助・花子ら所属を超えた若手漫才師らが、中田明成や加納健男を軸に大池晶ら若手漫才作家の新作台本を上演する定例会を10年間続けました。

ライブイベントの大規模化とテレビ番組とのコラボへ

ライブイベントの大規模化とテレビ番組とのコラボへ

NSC第1期生のダウンタウンは、80年代にワンマンライブ「かかってきなさいダウンタウンショウ」を不定期に開催。「心斎橋2丁目劇場」では、劇場主宰で「2丁目WACHACHA LIVE」などが行われ、「WACHACHA LIVE」は1995年、千原兄弟も参加し大阪城ホールを満員にしました。1991年にはダンスもできる若手芸人ユニットとして「吉本印天然素材」が結成。雨上がり決死隊、FUJIWARA、ナインティナイン、バッファロー吾郎らがメンバー。ナインティナインは、売れっ子になった後も9月9日を「ナインティナインの日」と定め、毎年関西でソロライブを継続しています。

会議室などで小さなライブを続けていたバッファロー吾郎は、木村(2011年にバッファロー吾郎Aと改名)の企画で1999年に「ダイナマイト関西」と銘打つライブを心斎橋MUSEで開催。2003年の第10回大会は大阪府立体育館を満員にするほどの人気となって、長く継続されています。

バッファロー吾郎のライブは数多く、吉本興業の中でも抜きん出た企画で、ライブはどんどん大規模化していきます。2008年には「ダイナマイト関西オープントーナメント大会2008」開催、「第1回キングオブコント」で優勝し、2009年には31日間の連続イベント「コンビ結成20周年イベント」をABCホールで開催しました。

吉本興業は朝日放送と主催・制作し、2001年から島田神助の企画で新人漫才コンクール「M-1グランプリ」を開催、一世を風靡します。2010年に終了した後はフジテレビが継ぎ、2011年よりナインティナインの司会で「THE MANZAI」として放送するようになり、決勝戦は生放送されます。ダウンタウンの司会でコント日本一を決める「キングオブコント」は2008年にスタート。TBSと主催・制作し、決勝戦は同じようにTBS系の番組で生放送されています。