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平成29年 錦秋名古屋顔見世レポート 昼の部

平成29年10月1日より、日本特殊陶業市民会館ビレッジホール(名古屋市中区)にて上演された「錦秋名古屋顔見世  昼の部」を、演目ごとに見どころとあらすじをご紹介します。

母を訪ねて「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)~重の井 子別れ~」

「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)」は「近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)」による「丹波与作待夜の小室節(たんばのよさくまつよのこもろぶし)」の改作で、全十三段からなる「時代浄瑠璃(じだいじょうるり)」です。「近松門左衛門」は浄瑠璃と呼ばれる歌舞伎などで使用される音楽を手がけていた人物で、「曽根崎心中」なども手がけている脚本家でもあります。その中でも特によく上演されているのは十段めの「重の井 子別れ」。「重の井 子別れ」は「恋女房染分手綱」の中でも特に人気の高い作品です。

壱 いやじゃと駄々をこねる「調姫(しらべひめ)」と馬子の「三吉(さんきち)」

幼い女の子が「いやじゃ」と駄々をこねています。この女の子は由留木家の息女「調姫」。幼い「調姫」が、お江戸(東国)の大名へお嫁に行く日というところからストーリーが始まります。家来や乳母である「重の井(しげのい)」はおろおろするばかり。そのとき、道中で面白い遊びをしていた馬子(馬をひく仕事をしている子供)の「三吉」に白羽の矢が立ちました。面白い遊びを教えて調姫の機嫌を直そうと家来が考えたからです。 このような流れから「三吉」は「調姫」のいる奥座敷へ。

ちなみに「三吉」のしていた面白い遊びは、「道中双六(どうちゅうすごろく)」です。これは「東海道五十三次」の絵が描かれている双六で、日本橋をスタートとし京都をゴールとする遊び。13世紀には「双六」らしいものがあったのですが、実際に「おあそび」として「道中双六」が広まったのは江戸時代の頃です。
「恋女房染分手綱 ~重の井 子別れ~」も江戸時代のお話なので、馬子の「三吉」の遊びが当時の流行であったことが分かります。

弐 「三吉」と「重の井」の出会いと本当の関係

「調姫」の機嫌もなおり、「重の井」は褒美を与えるため「三吉」と二人きりに。そこで、二人にとって重要なことが発覚してしまいます。実は二人の関係、母と子だったのです。「重の井」という名前を聞いて母だと確信し、「かか様」と母の胸に飛び込む「三吉」。さらに、「三吉」は、お父さんが死んでしまったことや、頼る人がいないことなどを「重の井」に打ち明けました。小さなわが子の悲しい経緯に「重の井」は胸が引き裂かれる想いに。しかし、わが子を抱きしめることも、一緒に住もうと提案することもできません。そして、子供が母親に言われてもっとも傷つく「ある言葉」を放ってしまいます。さてその言葉とは?

参 調姫の嫁入り準備は整った。さて親子はどうなるのか?

親子はこのまま別れてしまうのでしょうか?まだ小さいわが子を抱きしめたいと想う「重の井」の気持ちと、母と一緒に暮らしたい「三吉」に、観ているほうも心が痛みます。最後に、「三吉」は「調姫」の旅立ちに唄を披露。それを「重の井」が見守ります。果たして、その唄に込められているのは、嬉しさか悲しさか。演目のキーワードは「調姫」です。ちなみに、演目は「時代浄瑠璃」なので、三味線や浄瑠璃の唄い手が心情を表現します。三味線や浄瑠璃からも親の心と子の心が痛い程に伝わるお話です。

怪談話ではない悲劇「番町皿屋敷(ばんちょうさらやしき)」

名古屋の顔見世では、20年ぶりの上演となる「番町皿屋敷(ばんちょうさらやしき)」。井戸の中から出てきて「一枚、二枚、うらめしや」とお皿を数える、江戸時代の怪談話「皿屋敷伝説」が下敷きになっています。男女の純粋な恋愛感情が招いた悲劇として描かれた「番町皿屋敷」。怪談話はひとまず忘れて、せつなく悲しい恋愛ものとしてご鑑賞下さい。

壱 「番町皿屋敷(ばんちょうさらやしき)」の作家と新歌舞伎

作者は明治生まれの小説家や劇評家の顔も持つ劇作家「岡本綺堂(おかもときどう)」です。「番町皿屋敷」は大正時代に書かれた「新歌舞伎」と呼ばれるジャンルの名作。「新歌舞伎」とは、もともと劇場にいる作家によって書かれたものではなく、外部の人(小説家・ジャーナリストなど)によって書かれた歌舞伎の演目です。「近代的で文学的な風を吹かせたい」と明治末以降始まったこの試みにより誕生しました。「岡本綺堂」は「新歌舞伎」を代表する人気作家です。怪談ものをいくつか手がけており、のちに読み物として「綺堂物」というジャンルも生まれています。

弐 お菊の嫉妬と噂話

江戸時代に語り継がれていた「皿屋敷伝説」。「お菊井戸」や「お菊神社」、「お菊の皿」が、兵庫県「姫路城」の中に実在します。この「皿屋敷伝説」を元にして描かれた「番町皿屋敷」は、旗本「青山播磨」と腰元「お菊」の恋物語。人づてに聞いたある噂が、恋する「お菊」に嫉妬の種を植え付けます。その噂とは「播磨の縁談話」。「播磨」とは身分の差もあったので、不安な日々を送っていた「お菊」は、噂に嫉妬心や疑心を抱いて家宝の皿を故意に割ってしまいます。皿を割ったのは「家宝の皿と自分とどちらが大切なのか」という複雑な女心から。これは「播磨」の心を試すための行動だったのですが、のちに大変な事態を招いてしまうことになります。

参 疑われた「播磨」と愛ゆえの行動

「播磨」は「お菊」を愛しているが故、見合い話を断りました。しかし、「播磨」が見合いを断ったことを知ったのは、皿を割ったあとのこと。「播磨」はこれに対してではなく、自身の愛が疑われたということに大激怒します。泣いて謝る「お菊」ですが、「播磨」の怒りは収まりません。家来も止めに入りますが、それでも怒りが収まらない「播磨」は、愛ゆえの行動を起こしてしまいます。疑いの目を向けた「お菊」が悪いのか、怒りが収まらなかった「播磨」が悪いのか。疑って相手の心を試した「お菊」が起こした行動は愛するがゆえ、一方で「播磨」の怒りが収まらないのも愛するがゆえです。さて、愛し合う二人は仲直りできるのでしょうか。

大喜利所作事「蜘蛛絲梓弦(くものいとあずさのゆみはり)」

「蜘蛛絲梓弦(くものいとあずさのゆみはり)」は、舞踊劇で所作事と呼ばれています。所作事は一日の縁起を担いで演目の最後に上演されることが多く、これを「大喜利所作事」と呼びます。大喜利とは一日の縁起を担ぐという意味。つまり「蜘蛛絲梓弦」は演技担ぎの舞踊なのです。人間から蜘蛛の精になるまでの様が必見。「源頼光(みなもとのよりみつ)」を狙って蜘蛛の精が妖しく舞います。

壱 物の怪(もののけ)にとりつかれた「源頼光(みなもとのよりみつ)」

物の怪にとりつかれた平安時代の武将「源頼光(みなもとのよりみつ)」は、病にかかり館で休んでいます。物の怪とは人間に憑いて苦しめたり、病気にさせたりする悪い霊のことです。それから守るために「坂田金時(さかたのきんとき)」と「碓井貞光(うすいさだみつ)」が館の警備をしていました。平安時代の頃は社会不安や病気を物の怪の祟りとされることがあったようです。

弐 怪しい人物が次から次に

館の警護をしていると、どこからともなく現れたのは、小姓。その様子に疑いを抱いた二人が切り払うと、小姓はこつ然と姿を消します。さらに怪しい人間の格好をした物の怪が次から次へと現れます。太鼓持、座頭など皆怪しい人物ばかり。これらの怪しい人物があの手この手で「頼光」の寝所を目指しますが、「坂田金時」と「碓井貞光」に遮られます。そこに、「頼光」がなじみにしている遊女が現れますが、またもや怪しい雰囲気に。遊女なら「頼光」の寝床へ近づきやすいと考えたのでしょう。しかし、どこか妖しい遊女にいち早く気付いた「頼光」。ついに物の怪が姿を現します。

参 伝説の刀「蜘蛛切丸(くもきりまる)」は実在した!いざ蜘蛛退治へ

物の怪は日本を魔界に変えようとする蜘蛛の精。そのとき、「頼光」は「蜘蛛切丸」という宝剣を抜いて斬りかかりました。「頼光」の持つ「蜘蛛切丸」には、蜘蛛の精を倒す力があるようです。蜘蛛は一時退散を余儀なくされます。
しかし、日本を魔界に変えようとする蜘蛛の精がこれで引き下がるわけがありません。「蜘蛛切丸」で斬りかかられたことに恨みを抱いた蜘蛛の精は、再び「頼光」の前へ。蜘蛛の糸をこれでもかという程に撒き散らし、「頼光」と家来は動けなくなります。糸を巧みに操り身動きが取れなくなる家来達に打つ手はあるのでしょうか?

実在する伝説の刀「蜘蛛切丸

作品の題材となっている「蜘蛛切丸」は実在する刀。「源頼光」が実際に所持しており、亡きあとは、日本刀コレクターであった「織田信長」の手に渡っています。その後、「桶狭間の戦い」にて信長が勝ったお祝いとして熱田神宮へ奉納。「蜘蛛切丸」の名前の由来は、「頼光」が毒を持つ蜘蛛に襲われそうになった際、持ち歩いていた刀で成敗したというのが始まりです。これが伝承され、蜘蛛退治伝説となりました。