「石井町中央公民館」から直線距離で半径3km以内の観光スポット・旅行・レジャーを探す/距離が近い順 (1~9施設)
①施設までの距離は直線距離となります。目安としてご活用ください。
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周辺施設石井町中央公民館から下記の施設まで直線距離で1,947m
童学寺(四国別格二十霊場第二番)
- 投稿ユーザーからの口コミ
- お寺の名前のとおり、学業成就のお寺として人気があります。 境内に四国33観音の石像のミニチュア版と、四国別格20霊場の石像のミニチュア版がズラリと並んでいるので、ぜひ見ておきたいところです。 また、本堂の裏には「逍遥園」という庭園がありますので、こちらはのんびりとするにはお勧めです。
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- 投稿ユーザーからの口コミ
- 藍寝床は藍染の染料「すくも」を作る場所です。 建物はかなり歴史を感じるものですが、江戸時代頃のものでしょうか? すくも作りは、乾燥させた藍の葉に水を掛けて発酵させる作業を、3ヶ月ほど繰り返して完成するとのことです。 この建物は、藍の葉に水を掛けたときに水分の通りをよくするため、窓がたくさん作られています。 ここでは今でもすくもを作っているらしく、すくもを使った本物の阿波藍製品が少なくなってきている昨今、ぜひ伝統を守って欲しいと思います。
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- 投稿ユーザーからの口コミ
- 下浦駅を降りて国道192号線を西へ向かうと、すぐに道が二股に分かれますので、左の道へ進みます。200〜300メートル歩くと右側に『石井町師弟「釈迦如来坐像」』の案内板が見えるので分かると思います。 お釈迦様は高さが240センチと比較的大きく、金色に塗られています。 穏やかな顔をされているので、お参りすると心が休まります。 案内板によれば、鎌倉時代初期に作られたものと思われ、頭部は当時のもの、胴部と膝が室町時代、両手が江戸時代に作られたと考えられているそうです。
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周辺施設石井町中央公民館から下記の施設まで直線距離で2,745m
国分寺(第15番札所)
- 投稿ユーザーからの口コミ
- 今回は、第十五番札所 国分寺 金色院へ行ってきました。 公共交通機関で行く場合は、JR徳島駅より矢野行きバス終点下車すぐ、車なら14番から約600m。道なりに進むと駐車場が仁王門前、 右手にあります。 第十四番札所からの距離は約600mです。本堂の重厚な屋根に、大寺院として知られまた往時の面影がほの見えます。 寺への道 常楽寺からはほぼ一本道となっていますね。鮎喰川の流れを汲んで広がる田園風景の中を歩いてゆくと、緑の絨毯の向こうに大きな伽藍が甍を並べて浮かんでいます。山門をくぐるとまず目に入るのが七重塔の礎石であったという大結晶片岩です。 近年、大師堂は焼けましたが、重層入母屋造りの本堂は変わらずに威容を誇っています。 歴史と由来についてですが、天平14年 (742) に国家の安泰を願って聖武天皇が全国に建てた国分寺のひとつです。建設を指揮したのは行基と言われています。その後、弘法大師も訪れ、第十五番目の札所に定めました。山門のわきには 「聖武天皇勅願所」 と彫られた石がいまも残っています。当時は四国随一の大寺院だったのですが兵火で焼失。江戸時代に再建されましたが、創建時の規模とは比べようもありません。 しかし、寛保年間 (1741~44) に建てられた本堂は当時を彷彿とさせ、壮大な寺院だったころの面影が残っています。 利益とエピソードについてですが、本堂の右手には、鳥沙摩明王を祀る堂があります。これは、大日如来の命を受けて悪を善へと導く仏様だといわれています。大師が唐から請来したもので、 不浄除けのご利益も絶大なのだとか。納経所には 「鳥瑟沙摩明王の札」も置いてあります。これをトイレに貼れば、子どものおねしょもピタリと治るとか。 みどころは、七重塔の礎石だけではなく、最近では発掘調査も進み、伽藍の回廊跡や寺域を示す溝の跡なども発見されています。 天平時代の大寺院を想像しながら、 境内を歩くのもよいのではないでしょうか。
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- 投稿ユーザーからの口コミ
- 今回は、第十五番札所 国分寺 金色院へ行ってきました。 公共交通機関で行く場合は、JR徳島駅より矢野行きバス終点下車すぐ、車なら14番から約600m。道なりに進むと駐車場が仁王門前、 右手にあります。 第十四番札所からの距離は約600mです。本堂の重厚な屋根に、大寺院として知られまた往時の面影がほの見えます。 寺への道 常楽寺からはほぼ一本道となっていますね。鮎喰川の流れを汲んで広がる田園風景の中を歩いてゆくと、緑の絨毯の向こうに大きな伽藍が甍を並べて浮かんでいます。山門をくぐるとまず目に入るのが七重塔の礎石であったという大結晶片岩です。 近年、大師堂は焼けましたが、重層入母屋造りの本堂は変わらずに威容を誇っています。 歴史と由来についてですが、天平14年 (742) に国家の安泰を願って聖武天皇が全国に建てた国分寺のひとつです。建設を指揮したのは行基と言われています。その後、弘法大師も訪れ、第十五番目の札所に定めました。山門のわきには 「聖武天皇勅願所」 と彫られた石がいまも残っています。当時は四国随一の大寺院だったのですが兵火で焼失。江戸時代に再建されましたが、創建時の規模とは比べようもありません。 しかし、寛保年間 (1741~44) に建てられた本堂は当時を彷彿とさせ、壮大な寺院だったころの面影が残っています。 利益とエピソードについてですが、本堂の右手には、鳥沙摩明王を祀る堂があります。これは、大日如来の命を受けて悪を善へと導く仏様だといわれています。大師が唐から請来したもので、 不浄除けのご利益も絶大なのだとか。納経所には 「鳥瑟沙摩明王の札」も置いてあります。これをトイレに貼れば、子どものおねしょもピタリと治るとか。 みどころは、七重塔の礎石だけではなく、最近では発掘調査も進み、伽藍の回廊跡や寺域を示す溝の跡なども発見されています。 天平時代の大寺院を想像しながら、 境内を歩くのもよいのではないでしょうか。
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- 藍寝床は藍染の染料「すくも」を作る場所です。 建物はかなり歴史を感じるものですが、江戸時代頃のものでしょうか? すくも作りは、乾燥させた藍の葉に水を掛けて発酵させる作業を、3ヶ月ほど繰り返して完成するとのことです。 この建物は、藍の葉に水を掛けたときに水分の通りをよくするため、窓がたくさん作られています。 ここでは今でもすくもを作っているらしく、すくもを使った本物の阿波藍製品が少なくなってきている昨今、ぜひ伝統を守って欲しいと思います。
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- 下浦駅を降りて国道192号線を西へ向かうと、すぐに道が二股に分かれますので、左の道へ進みます。200〜300メートル歩くと右側に『石井町師弟「釈迦如来坐像」』の案内板が見えるので分かると思います。 お釈迦様は高さが240センチと比較的大きく、金色に塗られています。 穏やかな顔をされているので、お参りすると心が休まります。 案内板によれば、鎌倉時代初期に作られたものと思われ、頭部は当時のもの、胴部と膝が室町時代、両手が江戸時代に作られたと考えられているそうです。
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